”完熟”枝豆。

枝豆は、大豆の未熟果である。

完熟したものは、すなわち大豆だ。

その途中の、まだ水分が残る状態のものを”完熟”枝豆として、打ち出したのだ。
枝豆と違って、収穫も、選抜も手作業になるので、量産はできない。

だが、差別化商品として、その食味は素晴らしいし、特徴がある。

あけぼの大豆特有の大きさ、甘さがあり、栗のような、ナッツのような、大豆のような、不思議な風味で、美味しいのだ。

気になることを聞いてみた。

「その、大豆と”完熟”の枝豆は、どうやって区別して収穫しているんですか?」
「あ、全然違います。」

どうやら愚問だったようだ。

「こうやって畑を一周歩きながら、目につくものをぱっぱっと手で取って。」
そう言いながら実演してくださった。

「大豆だと、カラカラと音がするくらいサヤの中で乾燥してます。うーんと、どれが良いかな。これなんかわかりやすいかな。」
と大豆になりかけのものと、完熟枝豆を比較して見せてくれた。
左が”完熟”枝豆。右が大豆。

完熟枝豆はまだ水分が残り、サヤを振ってもサヤに密着しているから音はならない。
一方の”大豆”は降るとカラカラと音がする。

「なるほど、違いますね。」

「普通の枝豆は250gで入れるんですが、同じボリュームで入れても完熟枝豆は、200gしか入らないんです。それだけ水分が抜けてくるんですよね。」

すべてが大豆になると、大豆用のコンバインを入れて一斉に収獲する。
だが完熟枝豆は一斉にはできず、目視して収穫するので、機械化できず、量産が難しい。
外観上は傷んだような黄土色のサヤも、とても大事。
枝豆の時には、機械で枝からサヤをとっても問題は出ないのだが、完熟枝豆は機械でとろうとすると、サヤから中の豆が容易に出てしまう。

なおさら、手摘みが必須となるわけだ。

察するに、一部の農家さんで、この”完熟”大豆が美味しいと分かっていても、実際には取り組めない理由がそこにあると思う。

「りょくけんさんのように、差別化して販売が可能な、限られたところにだけ販売しています。」

収獲の手間もさることながら、確かに販売も、無人では難しい。
POPなどでアピールと説明が必要な商材である。

藤尾さん
そうそう、POPと言えば、藤尾さんは、農家さんサイドでPOPを用意してお送りくださる珍しい例だ。

もともと広告代理店で勤務していた経験が大きいそうだ。
栽培面積を増やすときも、まずは販路を、と農協には頼らない販路開拓から動いたというからすごい。

旧校舎にある事務所に戻ってまたしばらく話をした。
広告代理店を退職した後、NPO法人非営利団体に勤めて、政府が実施する補助金、助成金を申請する役割を担った。

「たくさんある補助金の中から調べて、書類用意して提出して。資金が入って、また翌年調べて提出して。最終的には億単位の助成金を引き出して、NPOを辞めたんです。」

私も助成金、補助金を勉強して申請したクチだ。
その良さも悪さもわかっているつもりだ。

「これはまずいな、って思ったんです。」
「クセになるし、本業に手が入らない。」
「そう、その通り。」

せっかく良い企画があって、その企画に対して助成金なり補助金を引き出しても、事業化しない。
そういう体制や姿勢に、まずい、と思ったのだそうだ。

その考えには、強く感ずるものがあった。

帰り際、「新商品です。」と言われて渡されたものがあった。
焼き枝豆である。

焼き枝豆。

剥いた枝豆に、天日干しの国産塩をほどこし、プレス式のサラマンダーで焼き色を付けたものが真空パックになっていた。
これが、またウマイ。
パクパクと食べてしまった。

廃校の感傷にも浸りながら、エネルギッシュな藤尾さんにまた感化された訪問だった。

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