素敵な偶然。

会社は板橋の小豆沢(あずさわ)というところにある。
大好きな、行きつけのすし屋さんが、徒歩2分のところにあり、時間がとれるときには、ランチに必ずと言って良いほど行く。

日替わり800円(税込)。
すし屋ではあるけれど、小あじのから揚げだったり、すし屋のつくるオムライス、私は出会ったことがないが、いのししの煮付けなんていうメニューもあるそうな。

大分出身の、落語好きの大将が、大分の佐賀関(さがのせき)の友人から送られてくる魚や、どこの誰かは分からないが、狩ったから、と送られて来るいのししを、調理するのだ。

その日の日替わりは、黒アナゴ(大分では”レースケ”というらしい)と、”関サバになりきれなかったサバ”のフライだった。
メインとともに、味噌汁がまた美味しい。
日替わりできちんとだしをとっていて、海老だったり、貝だったり。
温かな味噌汁が美味しいと、日本人としての幸せを感じてしまう。
小鉢もまた、美味しい。
星型にカットしたにんじんの残りだったり(星型の外側)、ちょっとしたまかないのような食材もあるのだが、煮物だったり漬物だったり。
とにかく美味しい。

そんな”日替わり”に舌鼓を打っていると、なにやら隣のご夫婦と大将がやけに盛り上がっている。

聞き耳を立てていると(いや、特に立てなくても聞こえてくるが)、大分の臼杵(うすき)の話のようだ。

大分市からすぐ隣接するところに、臼杵市はある。

大分には、いちごトマトの山崎さんがいるし、水もお世話になっている。
いちごトマトは杵築(きつき)で、水は竹田(たけた)。

臼杵は、パプリカの橋本さんがいる。

隣のご夫婦は橋本さんと同年代。
魚だけでなく、野菜の話、畑の話も出ている。

これは?と思っていたら、先に大将から水を向けられた。

「野菜といえば、ここに実は専門家がいる。」

あ。

話したそうな顔を私がしていたのかもしれない。

「臼杵にはよく行きましたよ。パプリカでお世話になっている橋本さんという農家さんがいますんで。」

「橋本君!?」

やはりお知り合いだったようだ。

橋本さんは、トーメンという商社に勤めていて、オランダの種苗会社の種を扱っていた。
りょくけんとは、ミディトマトの種をお取引していた。

トーメンから独立しても、オランダの種苗会社のお取引は引き継げたようで、農家さんにそれを販売しつつ、自らも臼杵に戻り、パプリカ栽培を始めた。

「種だけ売っていて、農家さんから質問されても、”分からない”じゃ、だめだから。」

種も販売しつつ、できたパプリカも販売し、そして技術指導もできる、というビジネスモデルを確立した。
最初から順調だったわけでもなく、今もたぶん苦労が耐えないのだが、日本のパプリカ業界で、橋本さんを知らない人はいない。

というのも、日本の種苗メーカーでパプリカ品種を持っている会社は皆無。
世界一、パプリカ育種が進んでいるのは、間違いなく、オランダ。
その代理店契約を持っているのが橋本さん。
前述のように、種を売るだけでなく、日本の気候に合致した栽培方法を探るべく、自らも栽培している。
そして知りえた技術は惜しげもなく、農家さんに伝えている。

けっこう無敵だ。

栽培が落ち込む冬は、りょくけんは、宮崎の西都の川越さんのパプリカを扱っているが、川越さんも、橋本さんから種を買っている。

ご夫婦とは、少し会話を交わしただけで、食べ終わってすぐに、名乗ることもなく店を出てしまった。
だって忙しい、、、

それでも、この広い日本列島で、まさかこの小豆沢で、大分臼杵の橋本さんのことで、会話をすることになるとは夢に思わなかった。
なんだかうれしかったので、即、橋本さんに報告。

「あ、それはA夫妻ですね。郷里の先輩です。すごい偶然ですね。ほわーっとしました。」と橋本さん。

橋本さんによると、ご夫婦は、ご主人が定年を迎え、東京での生活を終えて、臼杵に戻ることにしたのだとか。
まさか、このタイミングで、故郷の臼杵の話を、偶然会った見知らぬ”私”と話すとは思わなかったそうで、「またひとつ素敵な思い出ができた」と喜んでいたそうな。

正直、私も驚いた。

そして、ほわーっとした。

点と点と点が、点で結びつく。

うまくいえないけれど、素敵な偶然だった。

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